大判例

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浦和地方裁判所 平成9年(ワ)1162号 判決

原告

甲野太郎

外一名

右二名訴訟代理人弁護士

藤井誠一

椛嶋裕之

寺町東子

被告

埼玉県

右代表者知事

土屋義彦

被告

A

B

C

右四名訴訟代理人弁護士

鍜治勉

同訴訟復代理人弁護士

武笠正男

主文

一  被告埼玉県は、原告らに対し、それぞれ金二五五〇万七三七六円及びこれに対する平成六年七月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告A、被告B及び被告Cに対する請求並びに被告埼玉県に対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを五分し、その二を原告らの負担とし、その余を被告埼玉県の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告らは、原告ら各自に対して、連帯して、五三五六万一〇六八円及びこれに対する平成六年七月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告埼玉県の設置する埼玉県立***高等学校(以下「***高校」という。)の山岳部(以下「本件山岳部」という。)に所属していた甲野一郎(以下「一郎」という。)が、平成六年七月二四日、同部の夏山登山合宿に参加中熱射病を起こして死亡した事故(以下「本件事故」という。)につき、一郎の両親である原告らが、本件事故が被告埼玉県の公務員で本件山岳部の顧問教諭として右登山合宿中部員を引率していた被告A、同B、同C(以下「被告A」、「被告B」、「被告C」といい、右被告三名を「被告教諭ら」という。)の過失により生じたものであるとして、被告埼玉県に対しては国家賠償法一条一項に基づき、被告教諭らに対しては民法七一九条及び七〇九条に基づき、それぞれ損害賠償を請求した事案である。

一  前提となる事実(末尾括弧内に証拠の記載がなければ、争いのない事実である。)

1  原告らは、一郎(昭和五二年四月一一日生)の両親であり、一郎の相続人である。

被告埼玉県は、***高校を設置してこれを管理する地方公共団体である。

同校は、生徒のほとんどが大学に進学する県内有数の進学校である。

被告教諭らは、本件事故当時、***高校の教諭であり、本件山岳部の顧問であって、被告埼玉県の公務員である。

2  一郎は、平成五年四月***高校に入学し、本件事故当時、***高校の二年生に在籍し、本件山岳部に所属していた。

一郎は、平成六年度の生徒・学生健康診断票によると、身長174.5センチメートル、体重83.5キログラムであり、肥満ではあるが、特に疾病などもなく健康な生徒であった。

3  本件山岳部は、日常的には、ランニング、筋力訓練、ボッカ訓練などをしており、年間の登山等の行事は、数回あり、平成五年から本件事故が発生するまでの行事についてみると、平成五年度は、五月九日に伊豆葛城山登山(新入生歓迎登山)、六月二〇日に学校構内でボッカ訓練、七月二一日から二四日まで白馬岳山行(夏山合宿)、一〇月九日に丹沢・塔ノ岳、一二月二五日から二七日まで福島県舘岩村で雪上訓練、二月四日から七日まで県の冬山新人大会(福島県横向温泉スキー場周辺)、三月一九日から二〇日まで湯沢中里スキー場で春山スキー訓練を実施し、平成六年度は、五月八日に奥多摩・川乗山登山(新入生歓迎登山)、六月二六日にボッカ訓練として日光・鳴虫山登山を実施している。

一郎は、右行事のうち冬山新人大会だけ参加しなかったが、白馬岳山行のとき発熱して薬を飲んだことがあり、鳴虫山のボッカ訓練のとき二〇キログラムの砂袋を背負っていたがバテて砂を捨てたことがあった。山では、他の部員よりも幾分遅れることはあったが、特に健康に異常を生じたということはなかった(甲A二八、乙八ないし一〇)。

4  本件山岳部は、平成六年七月二〇日から二四日までの日程で、山形県西村山郡朝日町所在の磐梯朝日国立公園朝日連峰を縦走する夏山合宿を行った(以下「本件登山」という。)。

本件登山の参加者は、被告教諭ら三名、本件山岳部の二年生部員八名(一郎を含む。)及び一年生部員一名の合計一二名であった(以下「本件パーティー」という。)。

被告Aは、本件パーティーのチーフリーダーであり、同B及び同Cは、サブリーダーであった。

本件登山の予定コースは、次のとおりであった(甲A四)。

二〇日 岩槻駅発

二一日 山形―宮宿―朝日鉱泉(朝日鉱泉幕営)

二二日 朝日鉱泉―鳥原山―小朝日岳―大朝日岳―大朝日小屋(大朝日小屋幕営)

二三日 大朝日小屋―大朝日岳―平岩山―御影森山―上倉山―朝日鉱泉(朝日鉱泉幕営)

二四日 朝日鉱泉―宮宿―寒河江―山形―福島―黒磁―大宮―八木崎

朝日連峰の登山コースは、一般には登山知識をしっかり身につけた健脚向きといわれているが、高校山岳部にとって無理なコースではなく、毎年数多くの高校山岳部が訪れている(甲A一一、二六、乙八ないし一〇)。

5  本件パーティーは、右予定コースに従い、二二日夜、大朝日小屋付近の金玉水に到着し、同所で宿泊したが、大朝日岳以降については、大朝日岳から中ツル尾根を二俣まで下る退避コースに変更し、二三日、中ツル尾根を経て二俣まで下山し、同日夜は同所で宿泊し、二四日、朝日鉱泉まで下山した。

一郎は、本件登山に参加中熱射病に罹患し、平成六年七月二四日、熱射病によるショックが原因で死亡した。

6  平成六年七月の山形県の気象は、七月一三日に仙台菅区気象台が東北地方の梅雨明けを発表し、その後、太平洋高気圧が広く本州から大陸を覆い、本州全域で暑い晴天の日が月末まで続いた。山形県内では、七月一三日から月末までの日中の気温が三〇度Cを超す暑い日が続き、猛暑小雨で家畜が熱射病で死亡するなどの被害が出た(甲A七、九頁)。

二  当事者の主張〈省略〉

三  主な争点〈省略〉

第三  当裁判所の判断

一  本件事故に至る事実経過等

当事者間に争いのない事実及び証拠(甲A三、四、七、二六ないし二八、三一、三四ないし三六、三八ないし四〇、四一の2、四四、乙四、八ないし一四(各枝番を含む。)、証人D、被告A、被告B、被告C)を総合すると、以下の事実が認められる。

1  朝日鉱泉宿泊まで(二〇日から二一日)

本件パーティーは、平成六年七月二〇日午後一一時ころ岩槻駅に集合して午後一一時五五分ころバスで出発し、翌二一日早朝に山形駅に到着し、山形駅でバスに乗り換え、宮宿でタクシーに分乗し、朝日鉱泉手前から徒歩で朝日鉱泉ナチュラリストの家(以下「ナチュラリストの家」という。)に向かい、昼前ころにそこに到着した。本件パーティーは、同日、ナチュラリストの家付近の国立公園内で幕営し、同所で宿泊した。なお、被告教諭らは、その際、本件登山の計画書をナチュラリストの家に提出していない。

2  朝日鉱泉から鳥原山山頂まで(二二日午前)

本件パーティーは、翌二二日午前三時三〇分頃起床して朝食をとり、予定から約一時間遅れた午前六時ころ、ナチュラリストの家付近を出発した。同日の気候は猛暑で、部員らは途中の沢に頭をつっこんだり、帽子に水を入れてかぶるなどして暑さをしのいだ。

鳥原山に向かう途中の金山沢を過ぎたあたりで、一郎と部員E(以下「部員E」という。)が暑さと疲労のため本件パーティーから遅れ始めた。そこで、被告Aは、一郎のザックを自分の軽いザックと交換し、一郎及び部員Eに付き添って歩行し、右三名以外のメンバーは先に鳥原山山頂に向かった。

一郎らを除く本件パーティーが鳥原小屋付近に到着したころには、一郎らは三〇分程度離されていた。鳥原山山頂に到着した部員F(以下「F」という。)、同D(以下「D」という。)は、しばらく休憩しても一郎らが同所に到着しないことから、遅れている一郎らの応援のために再び下山して一郎らの下に赴いた。一郎は、応援のために下山してきたFとDにザックを持ってもらい、鳥原山山頂まで空身で登った。

一郎、部員E及び被告Aは、当初の予定時刻から約四時間遅れた正午ころ、本件パーティーの中で最も遅れて鳥原山山頂に到着した。一郎らと部員Eは、同所で約三〇分間休憩し、その間、パンの昼食をとり、木道の上に横になって休んだ。

3  鳥原山山頂から金玉水まで(二二日午後)

本件パーティーは、午後〇時三〇分ころ、小朝日岳に向けて鳥原山山頂を出発した。その際、鳥原山山頂までの行程でペースが遅れていた一郎、部員E及び部員G(以下「G」という。)の三名は最後尾で出発し、被告Bが右三名の後に付いて歩行した。出発の際、一郎と部員Eは、荷物のうち団体装備部分の一部を他の部員に持ってもらい、ザックを軽くした。一郎と部員Eは、出発後しばらくして遅れ始めた。一郎と部員Eが小朝日岳に到着した際には、G及び被告B以外の本件パーティーは既に出発していた後であったが、一郎、部員E、G及び被告Bは、同所で約三〇分休憩してから出発した。同人らは、その後、銀玉水に到着し、同所で水の補給を行い休憩を取って同所を出発した。同所に到着した時点において一郎と被告Aのペースが遅くなっていたことから、同所からは、G及び被告Bは先に行き、被告Aが一郎と部員Eに付き添って小休憩を入れながら金玉水に向かったが、部員Eは、大朝日小屋が見える所まで来たころ、一郎と被告Aと別れて先に金玉水に向かった。その後、一郎と被告Aは、金玉水に到着するまでの間、四、五回にわたり各五分程度の休憩を取り、先頭の部員らからは約一時間、部員Eからは約一五分遅れ、午後六時三〇分ころ、金玉水に到着した。

4  金玉水における宿泊(二二日夕方から二三日朝まで)

一郎らが到着した時点では、他の部員らは既にテントの設営を終え、夕食の準備を開始していた。

一郎は、金玉水のテント場に向けてのなだらかな幅広い坂を下りる途中で、極度の疲労のため、ザックを背負ったまま転倒し、その際、眼鏡を破損し、額に擦過傷が生じ、眼鏡はその後使用できなかった。

一郎は、被告教諭らから夕食の準備を免除され、他の部員が夕食を作っている間、テントの中で横になって休んだ。その後、一郎は、他の部員らとともに夕食を取ったが、被告教諭らから夕食後の片づけを免除された。

一郎は、夕食後に行われた本件パーティー全員で行われたミーティングに参加した。被告教諭らは、一郎を含めた部員らが疲労していたこと、同日の到着時間が予定よりも大幅に遅れ、翌日も予定時刻よりも遅れることが予想されたことから、予定されていた登山コースを大朝日岳から中ツル尾根を経由し朝日鉱泉に戻るコースに変更した。このコースは、予定のコースよりも歩行時間の短い退避ルートであった。

部員らは、ミーティング終了後、しばらくして就寝した。

5  金玉水から二俣の吊り橋手前付近まで(二三日)

本件パーティーは、午前四時ころ起床し、朝食をとり、午前五時三〇分ころから午前六時ころの間に、順次幕営地を出発し、午前六時三〇分ころ、大朝日岳山頂に到着した。一郎は、部員の中で一番最後に山頂に到着した。

本件パーティーは、同所でしばらく休憩後、下山を開始した。

一郎は、先頭から二番目の位置で下山を開始したが、下山開始直後からペースがかなり遅く、二〇分ないし三〇分歩いたころ、極端に遅くなったため他の部員全員に追い抜かれ、被告A、同Bに付き添われ、ゆっくりしたペースで下山を継続した。他の部員らは、下山開始から約五〇分後に最初の休憩を取っていたところ、しばらく時間が経過した後に一郎らがようやく追いついた。

被告教諭らは、同所で一郎について対応策を相談し、その結果、一郎以外の部員らを先に二俣まで下山させ、一郎について別行動とし、独自のペースで下山を継続させることを決定した。この決定に基づき、一郎以外の部員ら及び被告Cは先に二俣まで下山し、一郎は、被告A、同Bに付き添われて下山を継続した。

しかし、大朝日岳から二俣まで中ツル尾根を半分程度下がった坂道途中において、一郎の歩行が極端に遅くなったため、被告Aと同Bは、同所で一郎を休ませることにした。

被告A及びBは、同所で一郎について対応策を協議し、他の部員の応援を求めることとし、被告Bが二俣に向けて下山を開始した。被告Aは、同所で一郎の足などをマッサージし、同人を約二時間休憩させた。

被告Bは、他の部員らが二俣に到着してから約一時間が経過したころ、二俣に到着し、部員らに対し、応援を求めた。被告Bの右指示を受け、FとDが二俣から山頂方面に向けて出発し、被告Cも、その後FとDを追って山頂方面に向かつた。一郎及び被告Aは、少し下山したところで、下から登ってきたF及びDに遭遇し、被告A、F及びDは、一郎を助けながら下山を開始した。

Fは、短時間一郎に付き添った後、予想以上に時間がかかることを二俣に残っている他の部員らに告げるため、一人で下山した。その後、Fと入れ替わりで被告Cが登ってきたため、その後は被告A、同C、Dの三人で、一郎を助けながら下山を継続した。

下山は、被告Aらが一郎に肩を貸せる場所ではその方法で行ったが、多くの場所では、急傾斜や道幅が狭く肩を貸せなかったため、上下に補助者を置き、重力に委ねて一郎の体をずり下ろす方法で行った。一郎が動くのが困難になった場所から二俣までの道は、それ以前の下山道に比べ道幅も狭く、勾配も急な箇所が随所に存在したため、下山によって一郎の体力は著しく消耗し、容態は悪化していった。

Dは、下山開始後、一郎が意味不明な言葉を発していることに気づいたが、このことに驚いた同人に対し、被告Aは「もうろくしているんだ」と発言した。下山するにつれて、一郎のうわ言などの異常さは徐々に大きくなっていき、「疲れちゃった」などと子供のようなしゃべり方をしたり、テレビゲームの「ファイナルファンタジー云々」などと全く脈絡のない言葉を発した。被告Aらは、一郎の意識が朦朧としており、うわ言を発していることを認識していたが、休憩を取るのに適当な場所がないことから、水場があり休憩する場所がある二俣まで下山を継続させた。

6  二俣の吊り橋手前付近(二三日)

一郎らは、二俣の吊り橋手前付近まで通常の二倍程の時間をかけて到着したが、一郎は、同所で自ら座り込み、動けなくなった。被告教諭らは、一郎が一人で吊り橋を渡れない状態にあると判断し、狭く休憩に適さない場所であったが、同所に一郎を寝かせた。

この時点において部員らが認識した一郎の状況は次のとおりであった。

(一) 意識障害を起こしうわ言を発し続けていた。

(二) 目の下に真っ黒な隈ができていた。

(三) 目つきがにらみつけるように鋭くなった。

(四) 他の部員を間近に見て、女性と間違えたり、全く無関係の人と間違えたりした。

(五) 腋下体温を測定したところ、三八度台の高熱状態であった。

被告教諭らは、一郎の体温を下げるため、部員らに指示して、二時間程度継続して、一郎の額や首周りや脇の下を沢水を含ませたタオルで冷やすなどの冷却措置を行い、一郎も落ち着いてきた。

一郎の冷却措置を行っている間、被告教諭らは、今後の対応について相談し、その結果、被告Cがナチュラリストの家まで赴き、同所から電話で医師に連絡を取り、一郎の状況を説明し、医師の判断を仰ぐことになった。そこで、被告Cは、午後三時三〇分ころ、部員の中で体力的に最も余裕があったDを連れて、ナチュラリストの家に向けて出発した。

その後、一郎は、長期間に亘る冷却措置により、目の下の隈や目つきが和らぎ、起き上がることができるようになり、二俣吊り橋手前付近に到着した時点よりも少し症状の改善を見せ始めた。そこで、被告Aと同Bは、テントにおいて一郎を休養させて回復を待つこととし、被告Aや他の部員らで一郎を支えながら吊り橋を渡らせ、肩を貸しながらテントの幕営地まで同人を移動させた。テントに移動させた後も、前記と同様の冷却措置は継続された。

他方、ナチュラリストの家に向けて出発した被告Cは、出発から約三〇分後、往復の時間が三時間以上かかり、帰りが遅くなり、暗くなって危険であること、出発時の一郎が回復に向かっていたことから、二俣に引き返すことにし、Dと共に幕営地まで引き返してきた。

7  二俣における宿泊(二三日から二四日)

被告C及びDが戻ったころ、他の部員らは食器を洗うなどして夕食の準備に取りかかり始めていた。その間、一郎は、横になって休息していた。

一郎は、午後五時ころ、インスタントラーメンの夕食を二口食べたが、テント内で嘔吐し、その後もテント内で休息を続け、少し睡眠を取った。午後六時ころ、テントの外でミーティングが行われ、被告教諭らは、翌朝に下山することを決定した。その際、一郎は、テント内で横になったまま、ミーティングの内容を聞き、翌朝朝日鉱泉に行けるかという被告Aからの問いかけに対しては、「ええ」と頷いて返答した。このころの一郎の腋下体温は、三八度以上であった。

本件パーティーは、午後八時ころに就寝した。就寝前の一郎の腋下体温は、三七度五分程度であった。被告教諭らは、一郎とは別のテントに就寝し、異常があれば同じテントの部員が気付くと考え、就寝から翌朝の起床までの間、一郎の経過観察は行わなかった。一郎が宿泊したテントには、同人の他部員三名が宿泊したが、就寝時、部員らが一郎の枕元に三、四枚の濡れタオルをおいたものの、翌朝まで、タオルの取替えなどの措置はとられず、他の部員が行った措置は、部員の一人が夜中に頭から落ちていたタオルを一度再び頭に乗せたことと、夜中に一郎がふらふらしながらテントの外に小便に出ようとした際にテントの入り口を開けてやった程度であった。一郎は、夜中に何度か小便を試みたが、ほとんど出ることはなく、一度血尿のような色の尿が出たのみであった。

8  二俣出発以降(二四日)

一郎を除く全員は、翌二四日午前三時ころに起床したが、一郎は、腋下体温を測定後、少し眠った。このときの一郎の腋下体温は、三八度六分程度あったが、その後、午前四時ころに一郎を起床させ腋下測定したところ、三八度を切っていた。一郎は午前四時三〇分ころ出発準備を始め、蜂蜜を溶かした水を少し飲み、チョコレート二かけらを食べた。

被告教諭らは、一郎にテントの外を歩かせると、ゆっくりではあったが一人で一〇歩程度歩くことができ、会話もできたので、肩を貸しながらゆっくり歩けば下山可能であると判断し、午前五時五〇分ころ出発させた。

ところが、一郎は、出発後三〇〇メートル程進んだ地点、時間にして一〇分も経過しないうちに、歩行できなくなった。被告教諭らは、一郎がこのまま下山するのは困難であると判断し、被告C、同B及び部員二名がナチュラリストの家に救助を求めに出発するとともに、他の者は一郎を平地の日陰に寝かせ冷却するなどして看護に当たった。その後、一郎の側に残っていた部員Eが、最初に出発した部隊を追って、ヘリコプターでの援助を求めるよう伝えに行った。被告Cらは、午前八時ころナチュラリストの家に到着し、警察にヘリコプターでの救助を依頼した。一郎は、午後二時一五分ころ、ヘリコプターに収容されて朝日町立病院に搬送され、同病院に入院し診察治療を受けたが、午後三時二〇分、死亡が確認された。その直接の死亡原因は、熱射病によるショック死であり、それは、脱水と高体温によるものである(甲A三)。

二  熱射病の症状及び治療方法について(甲A九、B二、一〇ないし一七)

1  熱中症は、暑熱環境下によって発生する障害の総称で、原因、症状、障害の程度により熱痙攣、熱疲労、熱射病に分類され、夏期高温多湿環境下での激しい長時間持続的な運動、すなわち長距離走、長時間連続歩行などによる発症が最も多い。

熱射病は、異常な体温上昇により、中枢神経障害を起こす障害であり、熱中症の中でも最も重篤で、統計上の死亡率も約二〇パーセント以上と高率である。その症状は、頭痛、めまい、嘔吐などから始まり、運動障害、錯乱、昏睡に至るが、基本症状は、体温の上昇(深部体温四〇度以上)と意識障害である。

運動による熱射病は、基礎疾患のない若年者に発症することが多く、高温多湿下でのトレーニング不足、体調不良、肥満などが原因として挙げられている。

また、熱中症は、登山における代表的疾患として挙げられ、慣れない夜行列車による睡眠不足、無理な行動計画(所要時間が予定以上にかかってもそのまま予定を強行した場合など)、山行前のトレーニング不足などの原因で熱中症に罹患することが多い。

2  治療方法

体温の過上昇、意識障害がある場合には、放置すると生命の危険が高いため、発病現場で直ちに冷却処置を開始するなどの救急処置を行うとともに、一刻も早く下山させて集中治療のできる施設やスタッフの整った医療施設へ搬送することが必要であり、一旦症状が発生したらすべて医療機関受診の適応である。

三  被告教諭らの過失について

1 被告教諭らの注意義務

学校行事も教育活動の一環として行われるものである以上、教師がその行事により生じるおそれのある危険から生徒を保護すべき義務を負っており、事故の発生を未然に防止すべき一般的な注意義務を負うものであることはいうまでもなく、とりわけ、登山活動には天候急変などの自然現象による危険の発生や体力、登山技術の限界などに伴う様々な危険が存在することは公知の事実であるから、登山活動が学校の部活動において行われる場合には、部員を引率する教師は、部員の安全について一層慎重に配慮することが要求され、登山活動の計画立案に当たっては、事前に十分な調査を行い、生徒の体力・技量にあった無理のない計画を立てるとともに、登山活動中においても、部員の健康状態を常に観察し、部員の健康状態に異常が生じないよう、状況に応じて休憩、あるいは無理のないように計画を変更すべきであり、さらに、部員に何らかの異常を発見した場合には、速やかに適切な応急処置をとり、必要な場合には下山させて医療機関への搬送を行うべき注意義務を負っているというべきである。そして、前記のとおり、熱射病が死亡率の高い重篤な疾病であり、登山における代表的疾患としても一般的に認知されていることからすれば、引率教諭は、登山活動中、部員が熱射病に罹患することがないように十分配慮すべきことはもちろん、部員に体温の過上昇や意識障害その他の異常が現れ、熱射病の罹患が疑われる場合には、直ちに部員を安静にさせ冷却措置などの応急措置を開始するとともに、速やかに医師と連絡をとり、緊急に下山させるための方策をとるべき注意義務を負っているというべきである。

本件についてみると、本件登山は七月下旬の猛暑の中で実施されたものであり、登山開始初日から部員の一部に疲労が目立ち、当初の予定よりも大幅に遅れていたことからすれば、本件登山活動中は部員が熱射病などの熱中症に罹患しやすい条件下にあったことが推認されるところであり、特に一郎は、部員の中でも特に顕著な疲労を見せていたことが前記認定にかかる事実経過から明らかであるから、このような状況下においては、一郎に発熱など何らかの異常が認められた場合には、直ちに熱射病などの熱中症の罹患を疑うべき状態にあったということができる。そして、一郎は、七月二三日には大朝日岳山頂から下山を開始してまもなく他の部員からペースが遅れ始め、中ツル尾根の下山途中において歩行が極端に遅くなった上、ついにはうわ言を発して意識障害を生ずるに至り、二俣吊り橋手前付近での腋下体温測定では三八度以上の高熱を発しており、この時点には、既に熱射病に罹患し、医療機関への搬送が必要な程度にまで重篤な状態に至っていたということができる。

そして、意識障害や高熱が熱射病の基本的症状であること、二俣吊り橋手前付近における一郎の症状は、外見上も明らかに異常な状態になっていたこと、前日からの一郎の疲労の状況、当時の猛暑などを総合すれば、被告教諭らは、二俣吊り橋手前付近に到達した時点においては、一郎が熱射病に罹患し医療機関への搬送が必要な状態にあることについて十分認識可能であったということができ、被告教諭らは、遅くともこの時点で、直ちに一郎を安静にして冷却措置などの応急措置をとるとともに、同人を一刻も早く医療機関に搬送するための措置をとるべき注意義務を負っていたというべきである。

ところが、被告教諭らは、現場で数時間冷却措置を行ったにとどまり、被告Cが医師の判断を仰ぐために一旦はナチュラリストの家に向けて出発するも、これを断念して引き返し、結局医療機関に搬送するための措置をとらなかったのであって、さらにはその後一郎に対する冷却措置などの応急措置も十分でないまま、翌二四日朝までほとんど何らの効果的な措置をとらなかったのであるから、被告教諭らは右注意義務に違反したといわなければならない。

これに対し、被告らは、二俣吊り橋手前付近における冷却措置によって一郎の体調が相当程度回復したことなどからして、当時の一郎の身体の状況からは、被告教諭らにおいて、一郎が熱射病に罹患していることを認識することはできなかった旨主張する。しかしながら、登山活動による熱射病の危険性については、従来から国や地方公共団体による通達や手引書などによって、登山活動の引率を行う教諭らに対し注意が喚起されていることが明らかであり(甲A九、B一ないし六)、山岳部の顧問教諭として登山活動を引率する立場にあった被告教諭らには、熱射病の基本症状及び熱射病に罹患した場合の対処法については周知のことというべきであるところ、前記のとおり、熱射病の症状として意識障害が生じた場合には、放置すると生命の危険が高く、一旦症状が発生したらすべて医療機関受診の適応であるとされているのであるから、意識障害が発生している本件では、その後若干回復したかのような症状の変化がみられたとしても、一郎を医療機関に搬送すべき義務を負っていたといわなければならない。

そうすると、被告教諭らには、国家賠償法一条一項にいう、職務を行うについての過失があったと認められる。

2  そして、証拠(甲A二六、証人西澤信雄)によれば、本件登山ルートは救助体制が整備されており、要請があれば昼夜を問わず救助隊が出動できる体制となっていたことが認められるから、被告教諭らが七月二三日において、前記注意義務を尽くし、適切な冷却措置などの応急措置を継続するとともに、早期に二俣から下山してヘリコプター等の救助を求める措置を講じていれば、当日中、あるいは遅くとも翌日早朝には一郎を医療機関に搬送することにより救命することが可能であったことが推認される。したがって、被告教諭らの前記過失と一郎の死亡との間には相当因果関係があるものというべきである。

四  被告らの賠償責任について

1  被告埼玉県の賠償責任

本件事故は、被告埼玉県の公務員が公務の執行につき過失があり、その結果発生したものと認められるので、国家賠償法一条一項により、被告埼玉県は原告らが受けた損害の賠償義務を負う。

2  被告教諭ら個人の賠償責任

本件事故は、学校の教育活動の一環として行われた部活動の指導監督という公権力の行使に際して発生したものである。公権力の行使に当たる国又は公共団体の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を与えたときの国又は公共団体の賠償責任については、民法七一五条に対する特別規定たる国家賠償法一条が適用される。そして、国家賠償法一条が適用される場合には、国又は公共団体がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであって、公務員個人は直接その責任を負わないと解するのが相当である(最高裁昭和五三年一〇月二〇日第二小法廷判決民集三二巻七号一三六七頁、最高裁昭和五二年一〇月二五日第三小法廷判決裁集民一二二号八七頁)。したがって、被告教諭らは、本件事故に関し賠償責任を負わないものであり、この点において、原告らの被告教諭らに対する請求は理由がない。

五  損害額

1  逸失利益 四八二一万四七五一円

一郎は、本件事故による死亡当時一七歳であって、高校卒業後六七歳までは稼働しうるものと考えられるから、その間平成六年賃金センサス第一巻産業計・企業規模計・学歴計・男子労働者計の年収額五五七万二八〇〇円の年収を得られたと推認することができる。その間の一郎の生活費割合は五割とみるのが相当である。したがって、これらを基礎にライプニッツ方式により中間利息を控除して求められた一郎の逸失利益は、次の計算式のとおり、四八二一万四七五一円となる。

557万2800円×(1−0.5)×(18.2559−0.9523)=4821万4751円

原告らは、これを二分の一ずつ相続した。

2  葬儀費用 合計一五〇万円

証拠(甲C五の1ないし26、六)によれば、原告らは、一郎の葬儀関係費用として、各三〇五万四五二二円を支出したことが認められるが、右費用のうち、遠隔地での死亡事故である点などを考慮し、各七五万円(合計一五〇万円)が本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

3  慰藉料 合計二二〇〇万円

証拠(甲A五五、五六、原告甲野太郎、同甲野花子)によれば、原告らが本件事故による一郎の死亡により多大の精神的打撃を受けたことが認められる。そして、本件事故の態様や事故後の経緯その他諸般の事情を考慮すると、一郎の死亡による慰藉料は、原告らにつき、各一一〇〇万円(合計二二〇〇万円)と算定するのが相当である。

4  損害の填補 合計二五七〇万円

以上の原告らの損害額の合計額は、各三五八五万七三七六円となるが、原告らが、本件事故後、日本体育・学校健康センターから死亡見舞金一七〇〇万円、埼玉県高等学校安全互助会から死亡見舞金八七〇万円の合計二五七〇万円の支払を受けたことは当事者間に争いがないので、原告らの各損害金の合計額から右受領金員を按分した各一二八五万円を控除する。

5  弁護士費用 合計五〇〇万円

本件事案の内容、審理経過及び認定額などに照らすと、本件事故と相当因果関係があるとして賠償を求め得る弁護士費用の額は、各二五〇万円と認めるのが相当である。

6  合計額 合計五一〇一万四七五一円

被告埼玉県が原告らに対し賠償すべき損害額の合計は、各二五五〇万七三七六円となる。

六  過失相殺の主張について

なお、被告らは、一郎が本件事故当時高校二年生であったこと、被告教諭らが一郎に対し本件登山への参加を強制したことはなかったことからすると、部活動である本件登山に参加するか否かは自己の健康状態などに留意して一郎本人が選択すべきものであったのだから、仮に一郎に本件登山への参加について健康面や体力面などの支障があったのだとすれば、本件事故発生については一郎にも過失があるとして、過失相殺による損害賠償額の減額を主張する。

しかしながら、前記認定にかかる事実経過及び被告教諭らの注意義務違反の内容に照らすと、本件において、過失相殺により損害賠償額を減額すべき事情は存しないというべきであり、被告らの右主張は理由がない。

七  結論

以上によれば、原告らの本件各請求は、被告埼玉県に対し各二五五〇万七三七六円とそれぞれこれらに対する本件事故日である平成六年七月二四日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の各請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・佐藤康、裁判官・設楽隆一、裁判官・五十嵐章裕)

別紙当事者の主張①②〈省略〉

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